「ありがとう」という言葉自体の波動が高く引き寄せ効果があるというのは本当か?
「ありがとう」と千回だか一万回だか唱えると
その言葉の波動自体が高いので
幸せがどんどん引き寄せられてくる
このような言葉を聞かれたことはありませんか?
そして、それは本当なのでしょうか?
今日はご縁を頂いて、「陶彩画」というものを作られる草場一壽さんのトークショーにお伺いしてきました。
その中で、「ありがとう」は「深さ」と「広さ」が大事だというお話があったのですが、
それをきっかけに思ったことを書いてみます。
もくじ
1・「ありがとう」と沢山唱えると、その波動で本当に良運が引き寄せられるうのか?
先に結論を言いますと、それは「Yes, and no.」、人によりけりだと思います。
効く可能性もあるのなら、試してみる価値はあるかもしれません。
が、当てが外れて効かないだけならまだ良いのですが、逆に運が落ちたように見える方もいらっしゃいます‥
まあ本当は、人の幸不幸は他人が判断できることではないので、断言はできませんが。
どちらにせよ、その効果は本当に人それぞれです。
ではなぜ、これが効く人と効かない人、あるいは裏目に出てしまう人がいるのでしょうか?
1-1・「ありがとう」が効くのは、唱えているうちに「何か」に気付いた人
人は時に単純作業の繰り返しから、何か素晴らしいことを発見したりします。
例えばピアノのお稽古で、同じ部分を同じように、何度も何度も繰り返して練習することがあります。
まあ千回とはいきませんが、数十回あるいは数百回繰り返しているかもしれません。
最初はただただ機械的でつまらないものですが、無心になって繰り返していると、
ふとある瞬間、「何か」が「わかる!」ことがあります。
それは上手く弾くコツだったり、どうしてこの音形なのかという明確な理由だったり。
とにかく、繰り返す前は見えなかった、ある「何か」がわかるのです。
「ありがとう」の繰り返しも同じことだと思います。
最初は「何かいいこと起きてくれ」という我欲で始めたのに、ある時ふいに涙が溢れてきて、
本当に心から「有り難い」と思ったら、すうっとその我欲が消えていった、
そんな話を聞いたこともあります。
そのような「何か」がわかったならば、きっとその人は心の平安というものを得たということで、
まさにこの「ありがとう」の繰り返しが効果的だったということでしょう。
1-2・「何か」に気付くことがなければ、「ありがとう」はむしろ逆効果になることも
逆にその「何か」に気付かなければ、それは「ただ機械的に繰り返しているだけ」で、何の効果もないのです。
それでも千回二千回と繰り返していれば、だんだん焦りと苛立ちが溜まってくるでしょう。
「一体あと何回繰り返したら、幸運がやってくるのだろう‥」
「いいことあるはずなのに、どうして起きないんだ」
「こんなに頑張って唱えているのに、どうして報われないんだ!」
・・・
それでは「ありがとう」を唱える度に不平不満が蓄積していくことになり、むしろ不運の元です。
言い換えれば、「ありがとう」という言葉の外枠のみに、自分の心が囚われてしまったということなのです。
2・「言霊パワー」というものはあるのか?
2-1・「ありがとう」「バカヤロー」実験とその結果
一部では有名な話かもしれませんが、
ご飯に「ありがとう」と「バカヤロー」と声をかけて、どちらが長持ちするか観察する、という実験があります。
※「ありがとう」と「バカヤロー」と「ご飯」の実験(ABCDEFG不思議物品研究室)
さて、わたしは自分でこれを実験したことがなく、推測でしかないのですが、これはあり得ると思います。
が、もしも「バカヤロー」の心で「ありがとう」と、
「ありがとう」の心で「バカヤロー」と声をかけたらどうなるのでしょうか?
ぜひどなたか実験されてみてください。
わたしの推測では、結果は違ってくると思います。
それほど差が出ないか、同じくらいか、あるいは結果が逆になるか、どれかはわかりませんが。
2-2・「言霊パワー」は確かにある、が‥
実はわたしは言霊の勉強をしていたこともあり、「言霊修道教導師」の允可(免状)も頂いていたりします。
ですから人一倍、言葉とその力には敏感だと思います。
このブログでも、言葉は時間の許す限り選んでいます。
「推敲」の例えには及びませんが、似たような意味でもより的確な一語を選ぶために、かなり時間を費やすこともあります。
時間もかかりますし非効率的ですが、言葉の流れは大切にしたいのです。
そんなわたしですから、もちろん言葉の力(言霊)は確信しています。
ただしそれは、中身(心)があってのことです。
2-3・心のこもらない言葉は、譜面だけを追う音楽のようなもの
言葉はもともと音でできているものですから、音楽と似ており、ある面では音楽と同じように考えることができます。
ところで、なぜ人は音楽に心揺さぶられ、感動するのでしょうか。
メロディーの素晴らしさ、リズムの的確さ、楽器の質、音響の良さ、演奏技術‥
様々な要素がありますが、最も大きな部分を占めるのは「心」「表現者の内面」です。
譜面を正確に追うだけの教科書的な演奏や、ピアノの自動演奏なども、別に聞いていて不快なものではありません。
しかし、感動も薄くはないでしょうか?
表現したい心があって音楽を演奏するのが本当なのに、
演奏することが目的になっているとその音楽は味気なく、感動も薄いものになります。
言葉もこれと同じなのです。
感謝の心があって「ありがとう」と言うのが本当なのに、
「ありがとう」と言うことが目的になっているとその言葉は味気なく、心の奥までは響かないものです。
それでもまあまあ、「良い言葉の波動」「良い効果」はあるでしょう。
が、そんな言葉をたとえ千回唱えようとも、そうそう運は上がらないでしょう。
運とは結局自分の心の在りようが生み出すものであり、
心を揺さぶり心の奥まで響く「何か」のあることが大切なのですから‥
3・「ありがとう信仰」からその否定を経て、いま真の「ありがとう」へ
一部ではもてはやされていた、ただただ「ありがとう」と唱えれば運が上がるという「ありがとう信仰」も、
もう下火になってきているのではないでしょうか。
むしろその反動で、最近は、
「ありがとう」と何度唱えようが運なんて上がるわけがない、そんな妄言に惑わされるのは愚かだ、
という意見もよく見聞きするようになりました。
一度ブームになり、それが去り、しかしブームは復活するかもしれません。
そして復活した時、その「ブーム」は「本物」「真理」に近づいているのです。
3-1・「ありがとう」は効く、効かない、どちらも真である
あることがブームになると、反動的に、それに対するアンチテーゼ(反対命題)も生まれてくるものです。
「ありがとう」ブーム(自己啓発やスピリチュアルに関心のある人の間だけでしょうが)の後に「ありがとう」の否定が来ることは、実に自然な流れでしょう。
そしてこの2つは、決してどちらかが間違っているわけではなく、どちらも真なのです。
ただ人によって、状況によって、ケースバイケースというだけで。
どちらも真であるということは、実は対立している反対概念ではなく、
この双方を統一できるような「真理」があるということです。
3-2・効くも効かないも「真」ならば、それを統一できる「真理」は何か
「ありがとう」は、やっぱり効くのです。
けれどもそれは、最初の「ありがとう信仰ブーム」の段階の「ありがとう」とは違う質のものです。
だからやはり、その後の「ありがとう何て効くわけがない」も真だったのです。
それは、言葉と心が一つになった、「言葉」という音楽に「意」という内面が乗った、
心からの「ありがとう」なのです。
これこそが、この命題の「ジンテーゼ(合)」です。
言葉には確かに、ある種の不思議な力があります。
が、それにも増して大きいのは、心、意の力です。
言葉だけでもある程度の効果はありますが、どんなにその言葉がプラスのパワーを持っていたとしても、
心がマイナスだったら差し引きゼロか、むしろマイナスになることだってあるかもしれません。
「ありがとう」と言うのが目的ではなく、自然と感謝の思いが湧き上がってきて思わず「ありがとう」と言ってしまった、
その時こそが、本当に運の上がる時なのです。
水晶七環を演奏する時は、自然に感謝の思いが、そっと静かに滲み出てきます
4・ではどうやって「真のありがとう」が言えるようになるのか?
4-1・「ありがとう信仰」の真の目的
そのための、人によっては時に有効な方法が、「形だけのありがとうを繰り返す」ということなのです。
形だけを繰り返すことで、ある時その本質に目覚めるということは、決して珍しいことではありません。
「ありがとう」と千回繰り返せば運が上がるよ、ということは、
このことを受け入れられやすく簡単に言ったものでしょう。
「運を上げるために『ありがとう』と繰り返そう」という我欲が、繰り返すことによって消えた時、
本当に運が上がるのです。
「ありがとう信仰」の真の目的は、これだったのではないでしょうか。
4-2・別の方法もあるから固執する必要はない
しかし先に述べたように、この方法が効かない人もいます。
それは個性の問題であり、素直じゃないとか捻くれているとか、
ましてや人として優れているとか劣っているとかという問題とは、全く無関係です。
そして効果が感じられないのなら、この方法に固執しないでください。
執着せずさっさと切り上げて、別の方法を探すことです。
「単純作業を繰り返す」ことで何かに気づくのなら、それこそ「ベルマーク集計」だって良いわけです。
※参考記事
変わるべきか変わらざるべきか〜時給300円未満のベルマーク運動をきっかけに「時代の変化」を考える
もし「単純作業を繰り返す」ことが自分に向かないと感じたならば、全く別の方法に切り換えてください。
別に「ありがとう」と千回唱えずとも、大切なことに気づける方法はたくさんあります。
本を読むこと、芸術を愉しむこと、自然を感じること、
日常を丁寧に過ごすこと、真剣に仕事をすること、炊事掃除洗濯などなど、
あるいは水晶七環(クリスタルボウル)の響き、カウンセリング、
そして「心理カード」も、自分の内にある答えを発見するためのツールです。
水晶七環(クリスタルボウル)の響きは、雑多な思考をクリアにし、脳を深いリラックス状態にするので、無理せずとも深いところからの感謝の気持ちに気づきやすくなるようです。
よりロジカルに、言葉を使って自分の思考をクリアにして、深いところにある自分の本当の思いを知りたい方には、心理カードリーディングがお勧めです。
※【自分の心の中から答えを出す】心理カードリーディング
もちろん「合わせ技」で両方されると、感覚と言葉の相乗効果でより大きな効果が期待できます。
カウンセリング(心理カードリーディング含む)+対面ヒーリングのメニューがお勧めです。
4-3・自分に合った方法で「真理」に気づく
自然に感謝の思いが湧き上がってくる時は、「真理」に気づき、それを垣間見ることができた時です。
そしてその「真理」は「心理」に通じ、他ならぬ自分の心の中にあるのです。
心の奥底、日常ではなかなか自覚できない部分に。
学問や芸術の究極の目的は全て、ここに到達することだとわたしは考えています。
科学の分野でも、素粒子物理学や量子力学、超弦理論などによって、かなり近いところまで来ているのではないでしょうか。
そして、「論理」ではないものを使ってそこに到達しようとするものが、芸術なのです。
広義の「芸術」には、水晶七環(クリスタルボウル)演奏も含まれるでしょう。
いえ、水晶七環演奏は芸術だと、わたしは確信しています。
だから「ありがとう」と千回繰り返してもいいし、ひたすら掃除をしてもいいし、
古典の名作を読んでもいいし、名曲を聴いたり科学を学んだりしてもいいのです。
自分に合った方法で、
それが何よりも大切なことです。
5・まとめ〜ブームの去った後にくるものこそが「真」に近い
「ありがとう信仰」ブームは去り、それへの批判もかなり出てきました。
それでこそ、真の「ありがとう」が出てくる土壌が育ったのです。
流行だってそうです。
例えば前世紀末、イタリアンブームが起こり、イタリアンレストランが乱立し、その後ブームが下火になりました。
ここで閉めた店も多かったでしょう。
日本に、イタリア人も唸ると言われる美味しいイタリアンレストランがどんどんできてきたのは、その後です。
「ありがとう」ブームが下火になり、一通り批判もされ、
そしてこれからこそが、真の「ありがとう」の時代になるのではないかとわたしは見ています。
「ありがとう」を「愛」など、別の言葉に変えても同じでしょう。
「スピリチュアル」も、また然り。
※参考記事(「スピリチュアル」についての音香の見解)
もう無理に「ありがとう」何て唱える必要はないのです。
「ありがとう」なんて、言えてもいいし、言えなくてもいい。
ずっと言わなくてもいいと思っていたのに、ある日ごく自然に言ってしまった、
これからはそんな「本当のありがとう」に多く出会える世界になるでしょう。
近日開催予定のイベント
10時〜11時30分 自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・4000円
4/13クリスタルボウル・ヨーガ
11時〜14時 横浜中山「753Cafe(古民家カフェ)」にて ご参加費・5000円
4/29水晶七環昼食会