「好き」とはどういうことか?〜自覚できるものとできないものがあるらしい

白状しますが、わたしには「クリスタルボウルが大好き!」という感覚はあまりないのです。

しかし表立って活動はしない奏者が多い中でなぜか、今まで3年半あまり、わたしは大っぴらに活動を続けてきました。

何故なのか、自分でも不思議なのですが‥

 

1・自覚できる「好き」

1-1・自覚できる「好き」は「陽」、「ポジティヴ」である

わたしが「好き〜!」と実感できるのは、実は音楽よりも踊りです。

趣味のフラメンコとバレエ鑑賞は、はっきり「大好き!」と断言できます。

フラメンコを踊るときは「生きる楽しみを謳歌している〜!」という実感があり、それが快感なのです。

また、特にボリショイ・バレエはわたしにとって、アイドルグループに対するような熱狂を感じるもので、
ジャニーズや韓流アイドル、またはAKBなどのファンと似たようなものなのではないかと思います。

(ボリショイはわが「露流」アイドルグループです?!)

 

もし音楽の中ならば、やはり幼い頃から親しんだクラシック音楽です。

特に往年の巨匠と言われる演奏家たちの名演奏は、本当に感情を底から揺さぶります。

カザルス、クライスラー、クライバー、バックハウス‥

また大作曲家たちの作曲センスに舌を巻き、その節回しやリズムに「痺れる」感じも大好きです。

 

もっと日常的なこと、たとえば衣食住ならば、
やはり繊細な着物やドレスや目にも美しい凝ったごちそう、選び抜かれたインテリアの空間などの方が、「好き〜!」と感じます。

そう、「テンションが上がる」感じ。

 

この「テンションが上がる感じ」が、自覚できる「好き」なのかもしれません。

恋愛もそのひとつでしょう。

好きな人を見ただけでそわそわしてしまう、気持ちが上ずって落ち着かない、
それはまさに、「テンションが上がっている」「気持ちが上がって陽気になって(なりすぎて)いる」、ということではないでしょうか。

 

 

1-2・「陽」の状態は長くは続かない

しかし、「陽」に傾いた状態は長くは続かないものです。

 

そんなことはない、と思われるかもしれません。

事実わたしも、クラシック音楽は小さな頃からずっと好きですから。

が、それは「クラシック音楽」というジャンルで見るからそうなのであって、
個別の曲でみると、「好き〜!」と実感できる期間は決して長くはないのです。

せいぜい半年から1年、でもしばらく経ってからまた、「好き〜!」になることはあります。

 

クラシック音楽にしろ踊りにしろ、そう考えてみると「断続的に好き」な気がします。

いつもいつも、24時間365日「好き〜!」であり続けているわけではなく、
時に思い出したように「好き〜!」となり、しかし時々はその存在を忘れている。

そんな波が続いていることを、一般的には「ずっと好き」と表現しているのではないのでしょうか。

 

だいたい「テンションが上がりっぱなし」ということはあり得ないのです。

身体にも心にも陰陽バランスを取ろうとする働きがある以上、上がったものは下がるのですから。

好きな時と完全に忘れている時が交互に来る、その「好きな時」が目立つから、
人はそれを「大好きである」と認識するのかもしれません。

 

余談ですが、これは恋愛にも言えると思います。

最初の段階の「好き〜!」という上ずった「陽」の状態から、適当な頃に次の段階へと進めないと、
いろいろとややこしい「問題」が起こるのかもしれない、と見ていて思うこともあります。

 

 

1-3・「好き」と「嫌い」は表裏一体、好きなものあれば嫌いなものあり

ところで、そもそも「好き」とは何でしょうか?

 

わたしはそれを、「差」をつけることで生じるものと考えています。

「好き」があれば「嫌い」があるということです。

 

世界に「甲」しかなければ、「甲」が好きか嫌いかという感情はないでしょう。

しかし「乙」もあって「乙」と比べることで、どちらがより好きでどちらかより嫌いかという「差」がつくのです。

「クラシック音楽が好き」の後ろには「ロックは嫌い」があり、

「踊り=美しい動きが好き」の対極には「醜い動きは嫌い」があるのです。

あるいは何か、わたしが自分で気づいていない「裏」の「嫌い」がまだあるかもしれません。

 

好きな人がいれば、嫌いな人がいます。

もちろんそれは人間として当然の感情であり、別に罪悪感を持つことでもありません。

悟りを開いたならば、また違うのかもしれませんが‥

 

 

2・自覚できない「好き」とは

2-1・自覚できない「好き」もある?

ところが、「好き」の中には自覚できないものもあるのかもしれないと思うのです。

 

冒頭に書いたように、わたしとっては水晶七環(クリスタルボウル)がそうです。

誰もがわたしのことを、クリスタルボウルが大好きだと思うでしょう。

実際、わたしも調子を合わせてそんなふりをしていたこともありました。

でも正直なところ、実感はなかったのです。

 

 

そもそもクリスタルボウルを始めたきっかけが、

「あなたはクリスタルボウルをする人です」と、初対面だった後の先生に言われたからです。

このときなぜ承諾したかはいまだに謎で、「わが人生最大の不思議」だと思っています。

決して自分が惚れ込んで、演奏してみたいと望んだわけではないのです。

 

同門生の中には、好きで好きでたまらないという人もいました。

器があればそれをクリスタルボウルに見立てて箸などで鳴らそうとする人、
実際に演奏しながら感動のあまり涙ぐむ人、
クリスタルボウルを購入してからは、暇さえあれば家でそれを奏でているという人‥

そんなことは一切、わたしにはないのです。

むしろ淡白な自分にコンプレックスを感じて適当に話を合わせながらも、
内心、「クリスタルボウルのどこがそんなに良いのかしら‥」などと思っていました。

 

それなのに何故か、わたしは流されるように活動を始めました。

7つのクリスタルボウルを箱に詰め、台車に積んで、東京近郊ならどこへでも行きました。

好きだからというよりは、それが当然だから、という感じで。

朝起きたら口を漱いで顔を洗う、そのくらいの感覚だったように思います。

 

(実はこの運搬がネックになって活動を躊躇う人はとても多いそうです。

その問題解決のためにも、自由が丘に運搬不要の「クリスタルボウルの拠点」を作りました。)

 

嫌いなら絶対にしないでしょう。

いや、普通に考えるなら、好きでないとできないことでしょう。

そしてやっぱり、わたしはクリスタルボウルが好きなのだと思います‥

‥が、それは、自覚できる「好き」とはちょっと質の違う「好き」なのかもしれません。

 

 

2-2・自覚できない「好き」は「陽」ではなく、「中庸」の状態かもしれない

自覚できない「好き」と、自覚できる「好き」との違いは、「テンションが上がる」という感じがないことでしょう。

だからこそ、自覚できないのですが。

 

「わあ〜!」という「上がる」感じがないのです。

陽気でもなければ、ポジディヴな状態でもない。

その代わり、その反対の「嫌い」もない気がします。

 

「当たり前」「朝は顔を洗うように当然」なのですから、感情はとても平坦です。

もしかしたらこれは、ポジティヴでもネガティブでもない「中庸」、
あるいは陰陽に分かれる前の「太極」の状態なのでしょうか。

 

※wikipedia「太極」

https://ja.wikipedia.org/wiki/太極

 

別の言葉で言うならば、「永遠に普通」という感じがします。

「好き」でも「嫌い」でもなく、その真ん中の「普通」。

でも、もしかしたら本当に重要なのは、その「普通」なのかもしれません。

 

食べ物に例えるなら主食、ご飯でしょうか。

(ちなみにお米は、陰陽五行でも中庸の食材だそうです。)

出てきても別に「わあ〜!」と喜ぶこともなく、ごく当たり前といった感じですが、日本の食卓にはなくてはならない、そんな感じなのかもしれません。

 

 

2-3・中庸な状態だからこそ長続きする

そんな「当たり前」の感じだからこそ、それは長続きするのかもしれません。

 

前述した自覚できる「好き〜!」が、断続的に続く感情だとすれば、
自覚できない「当たり前に好き」は、24時間365日ずっとそのままな状態なのです。

だからこそ、「中庸」なのですが。

 

余談の恋愛にも、これはあると思います。

「好き〜!」という自覚できる恋愛感情が、「当たり前」という自覚できない「好き」に変化できると、その関係は長続きしやすいのかもしれません。

それを「愛」と呼ぶ人もいるでしょう。

 

「愛」とは、実は「当たり前」なのではないか

 

わたしはそんな気がするのです。

 

 

3・まとめ〜「好き」にも種類がある、その「好き」がどの種類かを考えてみる

好きなことをしましょう

好きなものを食べましょう

好きな人と付き合いましょう

好きなことを仕事にしましょう

 

わたしも同感です。

が、その「好き」はどんな種類のものか、ちょっと考えてみても良いかもしれません。

 

自覚できない「好き」を選ぶのが正しくて、自覚できる「好き」ではだめだとか、そう結論づけたいのではありません。

自覚できる、ポジディヴな「好き」を選ぶことも、時には必要です。

ただ、ポジティヴな「好き」の裏には必ず、何かネガティヴなものがあります。

 

よく聞く「好きなことを仕事にしても上手くいかない」というような悩みには、このネガティヴな部分が作用しているようです。

もちろん、上手にそのネガティヴな部分を解決して、自覚できる「好き」を仕事にできる方法もあります。

だから、どちらか知っておくだけで良いと思うのです。

 

そしてもし、自覚できない「好き」なものや人、仕事や遊びに出会ったならば、
それはとても幸運なことなのかもしれません。

 

本当の幸運とは、もしかしたら、
ごく「当たり前」に「普通」なこととしてやって来るのではないでしょうか・・

 

 

※【参加費無料】自由が丘朝活のお知らせ

毎月第2土曜日は朝活の日!  次回は9月9日の10時〜12時です

9/9自由が丘朝活

 

※【10/1(日)】クリスタルボウル・ヨーガ

15時15分〜16時45分  自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・4000円

10/1クリスタルボウル・ヨーガ