【随筆】育つも自然、育たないも自然

「育つも自然」

わたしには3人の子どもがいるが、別に2人流産している。

 

最初の1人を流産する前、たしか「クレヨンハウス」の月刊誌『クーヨン』だったか、ある助産師さんの書いた記事に「育つも自然、育たないも自然」という言葉があり、わたしはそれに深く頷いた。

それから、流産した。もちろん悲しかった。

悲しかったが、それもまた自然なのだと受け入れることができた。

受け入れられたので、その悲しみはさほど深く残ってはいないと思う。

 

育つも自然、育たないも自然。

生きるも自然、死ぬも自然。

 

それなのに現代人は「育つ」「生きる」のみを善とする。

そこから出てきたのが病気への過度な恐怖と数多の薬であり、死への過剰な恐れと延命医療なのかもしれない。

病気での死亡率は確かに下がり、寿命は延びたのだろうが、果たしてそれは「しあわせな生」に繋がったのだろうか?

 

育っている3つの生命と、育たなかった2つの生命。そこに優劣はなく、どちらも等しくわたしにとっては大切なもの。

流産した子どもが「水子霊」になって祟るなど、わたしにはとても信じられない。恨まれてなどいないと確信しているし、もし霊として存在しているのなら、むしろ守護霊になっているだろうと思う。

 

自然栽培の野菜はどうやら自然に「育つ株」と「枯れる株」に別れるが、「枯れる株」は不要なのではなく、土の養分となって「育つ株」にミネラルを供給しているらしい。そんな内容の記事を読んで、このことを思い出した。

枯れる株あるからこそ、育たなかった生命あるからこそ、わたしたちは生きている。

 

 

※この記事を書くきっかけになった、岡本よりたかさんのFacebook投稿

 

 

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