その「習慣」は本当に「当たり前」か〜習慣から自由になる

時には習慣から自由になってみよう

創造は

その先にある

 

 

1・「習慣」それ自体は良くも悪くもないが、それが自分の「枠」になることも

自分の枠を作っているものは、世間の目や思いこみなどいろいろあるでしょうが、その大きなひとつが習慣です。

習慣、それ自体には、良いも悪いもありません。

が、あまりにもそれが「当たり前」になってしまうと、わたしたちは習慣の枠の中でしかものを見、考え、行動するようにしかできなくなってしまいます。

 

つまり、その「習慣」自体が本当に必要なものかどうか、それを考えずして受け入れてしまうということ。

 

 

2・例えば食事の回数〜「一日三食」の習慣は自分には合っていなかった

 

例を挙げると、わたしは以前は、「一日三食」という習慣の枠の中にいました。

 

 

出かける前に、食べなければ。

お昼になったら、食べなければ。

帰宅したら、食べなければ。

 

 

ところが学生時代の友人で、朝食を食べる習慣のない人がいました。

一時期その人と暮らしていた時に自分も朝食を食べなくなって気づいてみると、どうもその方が調子が良いのです。

 

その後、通い始めた野口整体の先生からは、お腹が空いていない時に食べても栄養は吸収できず、ただ消化器に負担をかけるだけだと教わりました。

そしてその論には一理あると思い、ついに「一日三食」の習慣の枠を外したのです。

 

 

出かける前に食べてもよい。

お昼になったら食べてもよい。

帰宅したら食べてもよい。

 

 

その結果、自分の消化能力が一日三食には耐えられないことが、やっとわかったのです。

つまり一日三食のうちは、ずっと「食べ過ぎ」だったということ。

※これは全ての人に当てはまるわけではなく、それだけの消化能力に恵まれている人もいます。

 

そして余分な消化に自分の時間と体力を使わなくて済むようになった結果、より多くのことにそれらを使えるようになりました。

 

 

3・「当たり前」と信じていた習慣から自由になる

 

食事の習慣に限らず、一度は「当たり前」と信じて疑わなかった習慣から自由になってみる。

そのときはじめて、その習慣が自分にとって有益だったか無益だったか知ることもあるのです。

 

その習慣は、本当に「当たり前」なのでしょうか?

その習慣は、本当に自分自身にとって有益なものなのでしょうか?

その習慣は、本当に守り続ける価値のあるものでしょうか?

 

案外、思い込んでいるだけのこともあるのです。

そしてそうと気づいたなら、その習慣を守るために費やしていた時間や労力を、他のことに使うことができるのです。

つまり、より自由に創造的な活動ができるということ。

 

 

ついでですが、一日三食というのはひと頃は「常識」とされてきましたが(今でもそうでしょうか)、これが習慣化したのは近代(日本では江戸時代)からで、人類の歴史からするとごく最近のようです。

※参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/食事

 

今でもイタリアなどヨーロッパの一部では、朝はコーヒーのみか、食べてもこく軽いものだというところもあるようです。