わたしが母の日や父の日に反応せず「スルー」する理由〜親に感謝などできなくてもいい

巷の広告を見て思い出したのですが、もうすぐ「父の日」ですね。

 

先月の母の日には、例年のように、フェイスブックにも感謝の投稿が溢れていました。

が、わたしはこの手の投稿には敢えて反応せず、自分でも関連する投稿は一切しないことにしています。

なんだか随分ひねくれている感じですよね。

(自分の子ども達にも、「必要ないからね」と言ってあります。)

 

でもそれは、こんな理由からなのです。

 

 

1・人間関係の問題のほとんどは親子関係に由来している

 

カウンセリングの仕事を始めて気づいたのは、人間関係の問題のほとんどは、100%といってもよいくらいに、その人の幼少期の親子関係に由来しているということです。

わたし自身もそうでしたが、始めはそれに気づかないものです。

しかし何回かカウンセリングをしているうちに、必ずと言っていいほど、その親子関係の問題を認めることになるのです。

 

同性の親との間で解決できていない問題のある人は同性との人間関係がうまく行かず、異性の親との間にそれを抱える人は異性関係に悩む傾向が多くなるのです。

恋愛相談も掘り下げていくと、最後は異性の親との問題に行き着きます。

 

何らかの事情で親に育てられなかった人は、親の役割を果たす人物との人間関係が鍵を握ることになります。

 

 

2・親子関係の問題解決は一筋縄ではいかない

 

程度の差はありますが、親子関係の問題解決には大きな痛みを伴うことが多いものです。

 

自分が生まれたのは親あってこそなのですから、誰もが本当は親を否定したくはなく、素晴らしい人たちだと信じたいものです。

もしそうでない「悪い」親から生まれたとすれば、自分自身の存在もまた「悪い」のかもしれないのですから。

だから、例え親からひどいことをされていたとしても、人はなかなかそれを心底から認めたくはないものです。

口先ではいろいろ悪口を言ったとしても、その一方では誰かにそれを否定してほしいと願っていたりします。

そして無意識のうちに、実際それが真実であるかどうかに関わらず、真実が「わたしの親は酷い親だった」であると認めることを怖れ、最後の最後は目を逸らそうとする傾向があります。

 

しかし親もまた人間であり、完璧に子どもを育てられる人は誰もいません。

程度の差はあれ、どんな親でも何度となく、子どもの心を傷つけるようなものの言い方や態度はしているものです。

浅い傷で、そしてすぐ癒してくれるのならいいのですが、親が意図しているかどうかはともかく、深く子どもを傷つけ自信を奪ってしまうことも少なくありません。

カウンセリングなどを通して自分と親との関係を紐解いていくと、他でもない自分の親に傷つけられたという、絶対に認めたくはなかったことを発見してしまうことがあります。

 

3・「いかにも」な親子の美談には拒否反応する人も少なくない

 

過ぎてしまえば何でもないのですが、親子関係の問題に気づきその渦中にいるときは、「いかにも」な親子の素晴らしい話には拒否反応してしまうものです。

事実、「母の日」「父の日」近くに多く見られる、親子関係の素晴らしさを賛美するような広告や投稿を見るだけで落ち込むという訴えを聞くことは、決して珍しくありません。

 

だからといって、そのような親子の美談を投稿してはいけないと言いたいのではありません。

それが自然に出来るなら素晴らしいことなので、どんどんしていただければと思います。

見て落ち込むかどうかは見る側の問題であり、見る側聞く側の問題を考え過ぎると、何も投稿や発言などはできませんから。

 

ただわたしは、親子問題を扱うカウンセラー、セラピストとして、また自分自身も歪んだ親子関係に苦しんだ過去を持つ者として、この「感動的な行事」から一歩退くことを選んだだけです。

 

 

4・歪んだ親子関係なのに「親孝行」を期待される苦しみ

 

日本の現代というのは、ある面ではひじょうに厳しい時代だと思います。

その理由の一つは、親子関係が歪んでいるケースが増えたことでしょう。

 

今の親世代もまた、「満たされた子ども時代」を送れなかった人が多いのです。

そして「満たされた子ども時代」のない人は、自分でそれを癒すことをしない限り、子どもを本当の意味で満たすことなどできないのです。

それなのに世間は「親孝行」を素晴らしいこととして奨励し、期待します。

 

これはわたしの推測なのですが、ひと昔前の日本は、親孝行が自然にできる親子関係だったのではないでしょうか。

満たされた親が子どもを子どもとして育て、子どもの自信を削ぐようなことをせず、その結果として子どもは大人になった時、自然に親に恩返しをしたくなったのだと思います。

しかし今は、自らを癒しきれず欠乏感を抱えたままの親が、世間への面目のためとか、自分の期待を叶えさせるために、自らの欠乏感を埋めてくれるための存在として子どもを養い育てては、思い通りにならなかったとして自信を奪い、共依存関係になり、それなのに尚、「親孝行」として恩返しを期待していることも多いのです。

 

心の奥底には親への不満や恨みが渦巻いているのに、それから目を逸らして「親孝行」することは、そんな自分への罪悪感も生じてしまい、なかなか苦しいものです。

 

5・そもそも「記念日」にする必要はあるのか

 

「母の日」「父の日」というものは、ちょっと斜に構えて見ると、この形骸化した価値観をまだ大切にしようという風潮にさえ思えてくるのです。

だいたい、心から自然に感謝できるのだったら、特別に日を設定する必要などあるのでしょうか。

 

大道廃れて 仁義有り
智慧出でて 大偽有り
六親(りくしん)和せずして 孝慈有り
国家昏乱して 忠臣有り

〜老子(『道徳経』)第18章

 

※老子『大道廃有仁義(大道廃れて仁義有り)』現代語訳・書き下し文と解説(マナペディア)

http://manapedia.jp/text/3840

 

親子関係歪んで 母の日(父の日)あり

もしかすると、自然に親に感謝できるような親子関係が崩壊してきたからこそ、このような「行事」「記念日」が作られ奨励されるようになったのかもしれません。

 

 

6・一度は親をしっかり憎み否定することが必要なことも

 

わたしはカウンセリングで、「一度は親をしっかり憎み否定すること」を奨励します。

わたし自身もそうしました。

これはもちろん「ゴール」ではないのですが、ここを飛ばして「本当の自然な感謝」へ行き着くこともないのです。

 

自分の親に対する不満や恨みを認め、そんな感情を抱くことを自分に許し、気の済むまで憎み切ると、その奥からほんとうの親への感謝が湧いてくるものなのです。

けれども、その憎みの段階を「ショートカット」することは、残念ながらできないのです。

できるだけ早く通過できるように工夫することはできますが。

 

そして自らが親になったならば、必要な時は子に憎まれる覚悟を持つことも大切です。

いい親ぶって君臨しない。

 

 

7・まとめ

 

大丈夫、親に感謝できなくても、親を憎んでいても、あなたの存在価値は全く傷つきません。

もちろん、これはそう簡単なことではないでしょう。

が、そういう時こそ、プロの手を上手に借りていただければと思います。

一時的には辛いものですが、それを過ぎると、人生も人間関係も本当に楽になってきます。

 

というわけで、わたしは「母の日」も「父の日」も、敢えて感動的な美談を投稿したり、投稿に反応したりすることもなく、「静かな抵抗」としてそっと「スルー」することにしているのです。

 

 

 

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