変わるべきか変わらざるべきか〜時給300円未満のベルマーク運動をきっかけに「時代の変化」を考える

「ベルマーク運動」をご存知ですか?

 

学齢期のお子様がいらっしゃる方にはおなじみかもしれません。

それは、

『商品の包装紙やパッケージにつけられた「ベルマーク」を切取り、学校・団体ごとに集めて財団に送ることにより、1点あたり1円がそれぞれの団体のベルマーク預金になり、貯まった預金で自分の学校・団体の設備品などを購入できる。』というものです。

※wikipedia「ベルマーク運動」より

https://ja.wikipedia.org/wiki/ベルマーク運動

 

わたしも毎年のように、子どもの学校のPTA活動でベルマークとは関わっているのですが、

これほど電子化された現代でもこのような前時代的な方法が残っていることに、毎回驚いたり感心したりするのです…

 

 

1・ベルマーク集計作業の実態

1-1・それは驚くほど煩雑かつ非効率的である

1・集められたベルマークを、企業別(ざっと80社)に分類する(これが大変!)

2・更に点数別に分ける(これは更に大変!)

※0.5点や1.2点などというものもあり
※企業によっては数種類〜10種類以上あることも
※ぱっと見では区別つかないものが多い
※老眼になったら見えないであろう大きさ

3・余白が多すぎるものは鋏で切り落とす

※悪意を疑いたくなるほど微小なものもあり

4・同じものを10枚ずつテープやホッチキスで止める(もはや無我の境地になるしかない)

5・点数を計算して企業別の袋に入れる

※例え0.5点1枚でも入れる

6・ベルマーク財団に送る

7・驚いたことに、先方でも改めて数え直しているらしい!

※稀に「計算間違っています」という指摘が来る

8・1点=1円計算で「ベルマーク預金」となり、備品代として使える

 

‥とまあ、ざっとこんな感じです。

 

わが子の学校の場合、通常PTA役員が関わるのは「5」までで、

貯まった預金で何を購入するかは執行部と先生方の話し合いになります。

が、何を購入するかで揉めたり、揉めた挙句購入した備品がほどなくお蔵入りになったことも、過去にはあったとか‥

 

 

1-2・「時給500円以下」の仕事?

先日の作業では2時間半近くをこれに費やしました。

もちろん複数人で一緒に作業するのですが、わたしが担当した分だけを計算すると、

2時間以上かけた集計点数は600点ちょっと。

でも、この半分くらいだったこともありました。

(だって1枚0.5点〜2点ぐらいがほとんどで、多くても16点くらいですから‥)

細かい作業なので目も結構疲れ、下を向きっぱなしなので首肩も凝ります。

 

1点=1円ですから、このボランティア作業で貢献できたのは600円ちょっと。

1時間あたり300円未満です。

人によってばらつきは大きいものの、もっと少なかったこともあり、

多くてもまず「時給500円」を越すことはないのではと思います。

 

正直なところ、この作業をパスできるのなら喜んで1000円くらいは寄付するのに、と思いました。

 

 

2・それでもなぜ「ベルマーク運動」なのか

そのヒントはwikipediaの中にありました。

 

2-1・それは「奉仕したい」という心を満たす

前出wikipedia「ベルマーク運動」の「運動への評価」には、こんな意見があります。

 

『愛知・岡崎の市民団体によれば、切手代より少ないベルマーク運動しか送れないながらも「これが私のいきがいになりそう」という方、「生活保護を受けている身なので、一度にたくさんは集められないが……」としながら30点分を送ってくれた72歳の老人、「ベルマーク集めは、生涯ボランティアだと思う。」として息長く続けていくつもりだという方などが運動をささえていた。』(1985年)

 

人は他者や社会の役に立つことを望むものです。

ある種の人々のその要求を満たすためには、このようなボランティア活動は有効なのでしょう。

 

 

2-2・それは「効率が全てではない」ことを教えてくれる

同じくwikipediaによると、

『元・小学校長は、「体を動かさず、お金だけを出してすべてを解決するのでは、ひとに奉仕する心や自分で努力することの大切さはわからない。ベルマーク運動は本当に小さな努力だけど、皆で力を合わせれば大きなものになることを教えてくれるところが素晴らしい」と話している。』(1990年)

だそうです。

 

また、

『(財)ベルマーク教育助成財団は、中央防災会議において、ベルマークの収集・整理は、「作業が案外楽しい」、「手間暇のかかる作業を通じて、思いやりの心とか心の効用をつくり出すことができる」、「効率一遍がいいとは思っていない」と述べた』(2006年)

とも。

 

なるほど世の中効率一辺倒にならないためには、このような活動を通して「奉仕する心」「思いやりの心」をつくり出すことが必要だと考えられているのですね。

ちょっと精神修養的な効果も期待されているのでしょうか。

 

 

2-3・これで「平等に」義務を果たせるのなら楽なもの?

ところでPTA会員の中には、率先してベルマーク係をしたがる人もいます。

その理由は「楽だから」。

 

学校にもよりますが、今は「ポイント制」といって、

事情の如何を問わず、誰もが「平等に」役員や係を務めなければならないところも多いようです。

どうせ何かしなくてはならないのなら、頭を使って考えたり、他の役員や先生とのコミュニケーションを必要とすることもなく、

ただ分別して切って貼るだけの単純作業が一番楽だという考え方もあります。

 

なるほど、奉仕を義務付けられているのなら、楽な奉仕がいい‥もっともです。

逆にもしこの作業をなくしてしまえば、全PTA会員に「平等に」仕事が回らなくなり、不平不満が噴き出すのかもしれません。

3・ベルマークのような「非効率的な作業」は必要か否か?

3-1・そもそも「正解」はなく、個人個人の「体癖」や感じ方による

人の個性は様々です。

効率を重視したがる人もいれば、効率などは軽んじる人もいます。

(野口整体では「体癖」といって、腰椎の状態を観察することでこれがわかります。

つまり、体の構造からしてその感じ方は違うのです。)

これはもう、どちらが正しいか正しくないかを争う問題ではなく、「人それぞれ」としか言いようのないものでしょう。

 

おそらくベルマーク運動ひとつに対しても、素晴らしいと思う人から腹立たしくなる人までいろいろでしょう。

 

 

3-2・では「誰に」「どこに」合わせるのか?

これまた「正解」のない問題ですが、まあ「多数の」もしくは「先導者の」考えに、でしょう。

 

おそらく「ベルマーク運動」が始まった1960年当時は、

この「地道な『塵も積もれば山となる』的な作業を皆で協力していく」ことに高い価値を見出す人は、

それなりに多かったのだと思います。

だからこそ、この運動は今まで50年以上も、脈々と続けられてきたのではないでしょうか。

 

 

3-3・従来良しとされてきたものでも、現代の、そしてこれからの価値観にも合致するのか?

が、ひとつ見落とせないことがあります。

 

それは、wikipediaに書かれていた「運動への評価」のほとんどが、前世紀のものだったということです。

一番新しくて2006年、11年前。

 

現代もなお、

「体を動かさず、お金だけを出してすべてを解決するのでは、ひとに奉仕する心や自分で努力することの大切さはわからない。」

「手間暇のかかる作業を通じて、思いやりの心とか心の効用をつくり出すことができる」と考える人は、

果たしてどれほどいるのでしょうか?

 

ちなみにwikipediaでは最新の2015年の情報は、ベルマークへの批判記事です。

 

※「ベルマーク」は勘弁!母たちの切実な叫び〜PTAで今なお続く、途方もない手作業(東洋経済オンライン)

http://toyokeizai.net/articles/-/75218

 

 

もしかしたら「ベルマーク運動」は、もうとっくに、その存在価値を再考する時期が来ているのかもしれません。

 

 

4・変わる時代背景に対応しているのだろうか

4-1・専業主婦から「働く女性」の時代へ

ところでもう一つ、見落とせないのがwikipedia中のこの意見です。

 

『中央防災会議の委員の京都大学教授によれば、「労働ボランティアの時間から考えると、その分を募金にした方が早い」が、「主婦労働は価格がタダだからいい」という議論がある。』(2006年)

 

この発言が前世紀ではなく2006年だということには少なからず驚きましたが、

すなわち「主婦労働は価格がタダ」という前提があるのですね。

 

もしかしたら、設立時1960年代においては、この考えは一般的だったのかもしれません。

高度経済成長で共働きなどする必要もなく、まだまだ専業主婦がほとんどだった「古き良き時代」、

「三食昼寝付き」などと揶揄もされた主婦たちがお金の計算など考えもせず、

ただただ自分達でも学校のために数百円「稼げた」ことに喜びを感じていた‥

 

この世代の経験者に訊いたわけではないので憶測にすぎませんが、その可能性もあると思います。

 

が、その後時代は急変し、今や共働きの家庭も珍しくはなく、

わたしのように主婦業とともに自営の仕事をしている女性も多くなりました。

そんな働く女性たちにとって、「主婦労働は価格がタダだからいい」などというのは、

もしかしたら女性の仕事を軽んじている許しがたい発言に聞こえるかもしれません。

(わたしも驚いたものです‥マイナスの意味で)

 

 

前出の「東洋経済オンライン」記事によれば、わざわざ有給休暇をベルマーク集計に当てる人もいるそうです。

そんな人の心中には、奉仕の喜びどころか、不満が溜まっていくのではないでしょうか。

こうなるともう、「手間暇のかかる作業を通じて、思いやりの心とか心の効用をつくり出すことができる」なんて言っている場合ではないと思うのですが?

 

 

4-2・それは「専業主婦の時代」だからこそ機能していた

おそらく1960年当時はこれで良かったのでしょう。

主婦業以外の仕事をする気も必要もなかった母親たちにとっては、それは「井戸端会議」的な楽しみだったかもしれません。

楽しみながら作業したことが僅かながらも実になって、学校のため子ども達のために役立つのは、

本当に損得勘定抜きの喜びだったかもしれないのです。

 

当時の専業主婦は「効率」の外で暮らすことができた、とも言えます。

それが良いか悪いかということではなく、それもまた幸福な女性の生き方だったのでしょう。

嘗ては。

 

今でもどうやら学校の「ベルマーク回収箱」に熱心に入れてくれるのは、

学校公開の時などにいらした年配の方々が多いようです。

きっと「ベルマーク=素晴らしい活動・楽しいもの」という図式があるのだと思います。。

 

 

しかし時代は変わり、既婚女性の多くが「職業人」として効率優先の経済活動に参加している一方で、

まだ前時代的な「非効率」な世界の価値観にも従うことを求められるのは、

もういい加減しんどくなってきているのではないかと思うのです。

 

 

4-3・進む時代への不安

話変わって、日本の「男女平等度ランキング」は、144か国中、111位だそうです。(2016年)

※「世界経済のネタ帳」より

http://ecodb.net/ranking/ggap.html

 

まあ、このようなデータの信憑性には疑問もあるでしょうが、だいたいの指標にはなると思います。

少なくとも日本の「男女平等度」は、まだ決して高くはなさそうです。

もしかしたら日本にはまだまだ、女性が社会進出していくことへの不安やためらいが大きいのかもしれません。

 

(注・女性がますます社会進出していくことが「正しい」かどうかは、また別の論点です。)

 

もちろん「PTA」への参加は母親に限ったことではなく、父親が参加するのも自由なのですが、

現実にはまだまだ母親の参加が大多数です。

そして地域差もあるでしょうが、わたしの学区でも働いている母親は決して少数ではありません。

そんな働く母親達にとって「みな専業主婦であることが前提」のようなPTAの仕組みには、ベルマークに限らず、

仕事の足を引っ張られているような感じがするのではないでしょうか。

(事実、「PTAは嫌だ、面倒だ」という通念は、かなり表面化してきているところもあります。)

 

しかし、そこにストップをかけるのが「母親神話」でしょう。

「お母さんなら子どものために無償で時間と労力を使って当然、それが美しい」というような。

ちょっと皮肉な目で見てしまえば、ベルマーク運動は「母親の精神修養」「いいお母さんたるものの育成」なのかもしれません。

 

そもそも「2-1」で紹介したベルマーク運動への評価に、

「皆で力を合わせれば大きなものになることを教えてくれる」

「手間暇のかかる作業を通じて、思いやりの心とか心の効用をつくり出すことができる」というものがありましたが、

実際に作業するのは子ども達ではなく、母親です。

もしかしたらわたし達母親は、この作業を通して

「あるべき理想の(専業主婦的な)奉仕精神溢れる母親」になるべく修行をさせられているのかもしれないのです?!

 

それはもしかしたら、日本社会というものが集団意識的に、

これ以上女性が社会進出してしまうと何か不都合が起こるのではないかと、怖れているからかもしれません。

その良し悪しは別に論じるとして、進もうとするわたし達は足を引っ張られているのかもしれません。

 

 

5・To change or not to change〜わたしたちは今それを問われているのかもしれない

ベルマークに限らず、特に学校では、世の主流から10年ほど遅れているのではないかと思うことも多いです。

 

例えば、この電子化の時代に相変わらずの大量の「プリント」。

例えば、相変わらず「みんな同じものを同じ量だけ」の給食。

例えば、未だに非効率的な学習法。

 

これらはどんどん変わろうとする人間を、そして世の中をスローダウンさせるために、

足を引っ張るためのものなのかもしれません。

 

 

が、もちろん、変わるのが正しくて変わらないのは間違っている、というわけでもないのです。

もしかしたら、この「引き止め」は良いことなのかもしれません。

 

 

わたしたち日本人はまだ迷っているのでしょう。

新しい時代に合わせて変わっていくのが良いのか、

古き良き価値観を大切に守っていくのが良いのか。

 

 

これは永遠に「正解」は出ない難問です。

が、時は刻々と進むからして、いつかは決めなければならない時が来るでしょう。

変わるべきか、変わらざるべきか。

 

今までのままがいいのか、新しいことに挑戦してみるのか。

 

 

ベルマークのように、みんなが薄々思いながらも発言しなかったものごとが表面化されてきているということは、

21世紀もその五分の一に達しようとしている今まさに、それが問われている時なのかもしれません。

 

 

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毎月第2土曜日は朝活の日!  次回は9月9日の10時〜12時です

9/9自由が丘朝活

 

※【10/1(日)】クリスタルボウル・ヨーガ

15時15分〜16時45分  自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・4000円

10/1クリスタルボウル・ヨーガ

 

※【9/16(土)午後】水晶七環演奏会〜贅沢な中国茶付きで極上のひととき

15時30分〜17時30分  自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・5000円

9/16水晶七環演奏会