考える権利を奪おうとする「先生」に注意!〜「素直になれ」の落とし穴

「素直にわたしの言うことを聞く人ほど成長しますよ」

 

自己啓発系やスピリチュアル系のセミナーやお話会、あるいは指導者と呼ばれる立場の人から、

実際に何度か聞いたことのある言葉です。

ネットワークビジネス(MLM)の勧誘でも、これと似たようなことを言われることがあるようですね。

 

うーん、確かにそういった一面はあるのかもしれません。

が、この発想はとても危険だなとわたしは思うのです。

 

 

1・「素直」という言葉は「従順」という意味を含む

 

「goo辞書」によると、

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/119283/meaning/m0u/

 

1 ありのままで、飾り気のないさま。素朴。

2 性質・態度などが、穏やかでひねくれていないさま。従順。「素直な性格」「素直に答える」

3 物の形などが、まっすぐで、ねじ曲がっていないさま。「素直な髪の毛」

(以下続く)

とあります。

「デジタル大辞泉」でも同じように書かれています。

https://kotobank.jp/word/素直-542751

 

ここで問題にしたい「素直」とは、対人関係で使われるの意味です。

「素直」という言葉はやはり、「従順」という意味を含んでいますね。

すると冒頭の言葉は、

「わたしに従順な人ほど成長しますよ」という意味合いも含まれることになるのです。

 

何か違和感を感じないでしょうか?

 

 

2・「素直」の落とし穴〜それは上下関係を生む

 

「素直」という言葉には、一般的に何となく良いイメージがあるようですが、

「従順」と言ってしまうと、ちょっと躊躇する人も少なくはないでしょう。

 

なぜ人は従順に、あるいは、従順になろうという気になるのでしょうか。

なぜ人は、他人に従うのでしょうか。

 

いろいろな理由があるかと思いますが、最も大きな理由の一つは「楽だから」です。

自分の頭で考えなくて済むから。「おまかせ」できるから。

責任を取らなくて済むから。

 

しかし「おまかせ」するにはやはり、良い人優れた人におまかせする方が良いですよね。

つまりある人に従うということは、

「その人(あるいは組織)は自分より優れているに違いない」という前提条件あってこそなのです。

 

さて。

その人はほんとうにあなたより優れていますか?

あなたはその人より劣った存在なのですか?

 

これを認めてしまうと、良きにつけ悪しきにつけ、

ここには「上下関係」というものが生まれます。

 

 

3・形の「上下関係」に惑わされないこと〜本質的には上下なし

 

教える人と教わる人、先生と生徒、上司と部下、

あるいは親と子の間に上下関係があるのは当然ではないかという意見もあるでしょう。

わたしもそう思います。

 

それどころかわたしはむしろ保守的で、このような上下関係はきちんと守った方が良いとすら考えています。

わたしは自分の子どもに名前では呼ばせませんし(別に「お母様」と呼ばせたいわけではなく、「ママ」でも「お袋」でも構いませんが)、

「先生」や、ごく軽いニュアンスでの「師匠」くらいまでなら、そう呼ばれることも辞しません。

(流石に仰々しく「マスター」と呼ばれると引くかな‥喫茶店ならいいけれど!)

また相手が明らかに目上だと思えば、上座はどこだろうかと気を回したりもします。

 

が、これはただの「見かけ」の上下関係であり、もっと言うなら「上下」ではなく、ただ人間関係を円滑にするための「知恵」です。

それは男性が女性をエスコートする習慣のようなもので、男性が女性より明らかに身体能力が高かろうとも、女性より本質的な存在価値が高いわけでも低いわけでもないように、

先生や上司や親が、生徒や部下や子どもよりも、人間として優れているとは限りません。

ただ「ある特定の分野においてのみ」「今この時点では」上であるというだけです。

 

本質レヴェルで言えば上下はなく、人として生命としての存在価値は、大先生であろうが末席の新入りであろうが、

全くもって対等だというのがわたしの考えです。

 

 

4・対等な相手に従順になる必要はあるのか

 

さて、ここが問題です。

例えばクリスタルボウルの先生なら、その演奏法についてのみ従順になることは一時的には必要かもしれませんが、

どうかするとその他の分野にまで従順であることを求めるような人や組織もあるのです。

特に自己啓発やスピリチュアルなど、人間の「生き方」「在り方」を扱うような分野では、

その線引きが曖昧になりがちなこともあってそれが顕著になるのでしょう。

 

「甲先生の仰ることを素直に聞いていれば、人生良くなりますよ」

「あなたの人生がなかなか良くならないのは、あなたが素直じゃないからです」

「乙さんは素直に先生の言うことを聞くから凄いんですね」

「素直に言われたことを実践した人が成功しているんですよ!」

 

 

さあ、こうなってくるともう、なんだかカルト宗教じみてきませんか?

しかし怖ろしいことに、集団の魔力でしょうか、

どっぷり浸かっている時は、それを受け入れられない自分の方が、

「素直じゃない」=「ひねくれている」から変なのではないかと不安になってくるものです。

(お恥ずかしながら、足を突っ込みかけた経験あり‥)

 

しかし一歩引いて考えてみれば、相手は別に「神」でも「高次元の存在」でもなんでもなく、同じ人間です。

どんなに素晴らしいことを言っていたとしても、四六時中そうである筈もなく、

あなたと、そしてわたしと、同じです。

 

あなたと、そしてわたしと同じように、いつも素晴らしいことを言い、実践しているわけではありません。

他の生命を奪っては食べ、美しいとは言えないものを日々排泄しています。

死ねば朽ちていく肉体を残します。

 

ある日とつぜん透き通って、無私無欲無害な存在になったのならともかく、

そんな同じ人間に盲目的に従順になる必要がどこにあるのでしょうか?

 

 

5・人はみな考える権利を持っており、「考える」とは「疑う」ことでもある

 

面倒くさがらず、自分で考えましょう。

どんなに素晴らしそうな「マスター」に出会おうとも、「おまかせ」にはしない、させないこと。

 

自分の生き方在り方は自分で決める、

これは人間としての「侵すべからざる権利」だとわたしは考えています。

そのためにわたしたちは頭脳を、大脳を持っているのですから。

 

「考える」とは「疑う」ことでもあります。

「本当だろうか」と疑問を投げかけてみること。

 

あまりに「素直になれ」と言うのは、その「考える」という権利を奪うに近いことです。

人間をロボット化させるに等しい。

 

 

「人間は考える葦である」(パスカル『パンセ』)

考えることを取ったら人間に何が残るのか

 

 

あなたを人間でなくしようとする者の誘いには、いかに素晴らしいことに見えても、乗る前にちょっと疑ってみてください。

 

 

6・結論〜考える権利を奪おうとする者を信用するな

 

わたしはかつて、むしろ「素直」な方でした。

なぜ素直でいられたかと言うと、自分に自信がなかったからです。

親や先生の言うことに疑問を持っても、きっと自分が間違っているのだろうとそれを誤魔化していました。

この人たちの方が多くを知っているに違いなく、だからこそ、自分にはまだ理解できないことも言うのであろうと。

 

だから、学校時代から先生にも従順な方でしたし、可愛がられることも多かったのです。

そして、それで得られたものも、実はたくさんあります。

が、面白いくらい、素直に対していた先生ほど、最後は失望して去ることになりました。

もし去らなかったら、得られたものよりも更に大きなもの(人間としての尊厳)を失っていたでしょう。

 

何度か繰り返してようやく、その先生たちにはもちろんわたしより優れていた「ところもあった」けれど、

決して存在そのものがわたしより素晴らしかったわけではないと確信したのです。

もちろん、劣っていたわけでもありません。

 

 

結論は、「同じ」でした。

 

 

同じなのにこちらの「考える権利」を奪おうとする人たちは時にいるものです。

いまわたしが言いたいのは、そういう人たちにこそ、気をつけてくださいということです。

 

考える権利=人間である権利を、「素直がいいですよ」などと耳さわりの良い言葉で奪おうとする人たちには注意してください。

 

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12/3クリスタルボウル・ヨーガ