陰陽に偏らない「真」を求めるということ〜水晶七環は「中庸演奏法」である

もう「ポジティヴ志向」も色褪せてきたような気がします。

 

いえ、まだまだ現世利益的な「良いこと」を追い求めている人は多いのかもしれませんが、

一部の人は限界を感じてそれよりも心の平和、「真理」を探すようになってきているのではないでしょうか。

 

言い換えれば、「陽=ポジティヴ」ではなく、

「中庸=ニュートラル」を求めるようになってきているのです。

 

 

1・「開運」と「スピリチュアル」はまったく別のもの

1-1・「開運ブーム」と「スピリチュアルブーム」

 

前世紀末くらいからでしょうか、「開運ブーム」と「スピリチュアルブーム」があったような気がします。

きっかけはおそらく、ドクター・コパさんの「開運風水」や、江原啓之さんの「スピリチュアル」あたりではないでしょうか。

わたしも彼らの著書は、何冊かは目を通しました。

 

ちょうどその頃は、わたしも相次ぐ両親の死や重度のアトピーなど、自分の「不運」を憎んでいた時で、

「何とか変わりたい」という思いから、いろいろ試したものです。

たまたま九星気学は知っていたので、すぐにコパさんの「風水」は実は九星気学系だということに気づき、

(九星気学が良くないわけではないですが、全く別物です)

伝統的な風水(八宅、玄空飛星)を独学したのもこの頃です。

また戸籍上の名前の画数が悪いことも気にして、目に付いた姓名判断の本はほとんど目を通し、

吉数の通称名を名乗り始めて、かえって親戚縁者に非難されたりもしました。

四柱推命もこの頃、独学で基礎は身につけています(これは後に資格も取りました)。

 

わたしもまさにそうなのですが、ちょうどこの時代、

親や先生たちに言われた通り「まじめ」に生きてきたのに何かが違う、ずれている気がする、

などという人々の「人生変えたい願望」とでもいうものに、これらはぴったりと合致したのかもしれません。

 

 

1-2・「開運」の限界〜所詮は現生利益ではないか

 

風水、方位取り、パワースポット、

占星術、改名、四柱推命・・

 

さてこれらが「効いた」かどうかですが、はっきりと証明できないことではあるものの、

「かなり効いたものはあったのではないか」と感じています。

いろいろ試しましたし、効果にも早いものと遅いものがありますので、何が効いているのか特定は難しいものの、

わたしの人生は当時よりも格段に、楽しく面白くなっています。

 

しかし今は「開運」への興味は、全くではないですが、かなり薄れました。

それは所詮、「現世利益」「目先のこと」に過ぎないと思うようになったからです。

 

 

「開運」「占い」と関連する形で、見えない世界や心の世界、人生や生き方にも興味を持つようになり、

その結果、今わたしがほぼ確信しているのは「魂は不滅」ということです。

これはもちろん、まだ証明できることではないので、信じるも信じないもその人次第としか言えませんが。

 

しかし魂が不滅で永遠のものとするなら、現世利益を求める意味はあまりないのです。

それよりも、どう「真の自分の魂」として生きて、死後に来世に繋げていくか、その方が重要なのですから。

 

 

1-3・「開運」は「陽」、「スピリチュアル」は本来「中庸」を求めるものではないか

 

「開運」と「スピリチュアル」は、共に「見えない世界」という共通点があるからか、一緒くたにして語られることも多いようですが、

実はまったく別のものだとわたしは考えています。

 

(「スピリチュアル」は「スピリチュアリズム(心霊主義)」の意味で使われることも多いようですが、

わたしは本来そういう意味ではなく、むしろ「スピリチュアリティ(霊性・精神性)」に近いと考えています。)

 

※wikipedia「スピリチュアル」

https://ja.wikipedia.org/wiki/スピリチュアル

※「心霊主義」(スピリチュアリズム)

https://ja.wikipedia.org/wiki/心霊主義

※「スピリチュアリティ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/スピリチュアリティ

 

 

 

「開運」とは、「吉運」「幸運」「良運」のことです。

まさか「凶運」「不運」「悪運」を開きたいと望む人もいないでしょう。

これらは「ポジティヴ」であり、陰陽でいうなら「陽」です。

 

一方「スピリチュアル」は、吉でも凶でも幸でも不幸でも良くも悪くもありません。

それは万物の根源の「真」であり、陰陽に分かれる前の「太極」であり、

また陰陽を統一した結果の「中庸」なのです。

 

※wikipedia「中庸」

https://ja.wikipedia.org/wiki/中庸

 

上のwikipediaの説明にあるように、「中庸」とは儒学(儒教)の概念であり、「四書」のひとつにもなっています。

(儒学の「四書」とは、『大学』『中庸』『論語』『孟子』)

そしてここにあるように、単なる「50対50の真ん中」という意味ではなく、もっと深い概念のものです。

 

 

ひらたく言えば、

「開運」は「陽」を追求するもの

「スピリチュアル」は「中庸」を探求するもの であり、

その根本が大きく異なるのです。

 

 

1-4・禍福は糾える縄の如し、「陽」だけを求めてもバランスを崩す

 

さて、わたしたちはとかく、「ポジティヴ=陽=良いこと」「ネガティヴ=陰=悪いこと」と考えがちです。

が、それは錯覚です。

 

本当に「良い」という状態は、陰陽バランスの取れた状態だとわたしは考えています。

ですから大切なのは陰陽の、吉凶の、幸不幸のバランスであり、

陽・吉・幸のみを求めることではないのです。

そもそも不運がなければ幸運は存在しようがなく、幸運だけを求めてもバランスを崩すのですから。

ほら、あまりに開運に固執しすぎてガツガツしている人、いませんか?

(いえ何を隠そう、わたしにもそんな時期はありましたから。)

 

※参考記事

誰かに好かれたければ誰かに嫌われること〜好き嫌いは陰陽であり2つで1つ

https://otoka.jp/誰かに好かれたければ誰かに嫌われること〜好き/

 

思うに現代の都市生活はとかく人を陰気にしがちなものですから(病気=陰気の多さがそれを示しているでしょう)、

一時的に陽気=開運の気を求めることも必要かと思います。

が、ある段階まで来たら、今度は「陽」ではなく、「中庸」を求める時になるのかもしれません。

「陽」のみを求めることの浅さ、または危険さを知る時がくるのです。

 

いつまで経っても開運のみを、陽の気をばかり求めていれば、それこそ余分に欲深くガツガツしてしまい、

陽極まって陰に転じる=どこかで凶運不運が起きる、ということもあるように思います。

 

 

1-5・魂は不滅と考えるなら、目の前の現世利益の価値は高くない

 

そもそも「魂は不滅」という視点に立てば、現世利益を求めるあまり余分に欲深くガツガツしてしまえば、

仮に今世はそれで無事過ごせたとしても、当然それは死後に、そして来世に影響します。

単純に「不幸」が起こるかどうかはわかりませんが、何かの形で「蒔いた種からの収穫を刈り取る」ことになるでしょう。

 

人の命が、魂が、今生限りのものと考えるか、

永遠不滅に宇宙とともに続くと考えるか。

 

これはまさに、生き方を二分するものだと言えるでしょう。

そしてわたしの考える「スピリチュアル」とは、後者の生き方なのです。

「開運」はむしろ前者的な生き方であり、この2つは実は大きく違うのです。

 

 

2・「水晶七環」の別名は「中庸演奏法」〜「開運」ではなく「スピリチュアル」なもの

 

2-1・なぜ自分のクリスタルボウル演奏を特に「水晶七環」と名付けたのか

ところで、わたしは自分独自のクリスタルボウル演奏を「水晶七環」と名付けています。

 

一口にクリスタルボウルといっても実に様々な演奏があるのですが、

わたしの演奏はおそらく中でもかなり地味な方に入ると思います。

特徴は自己表現や外連味といったものを極力削ぎ落とし、ただひたすら「中庸」の状態で演奏することです。

 

この「中庸」はまさに、儒学でいう「中庸」に近いもので、簡単に言うと「偏りのない状態」でしょうか。

 

「中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの出来るものでもある。

恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念であるとされる。」

(wikipedia「中庸」より)

 

 

ちなみにわたしは、「スピリチュアル」とはいわゆる「不思議な世界の話」ではなく、

むしろ儒や道(道教)、ヘレニズムやヘブライズム、神道思想や仏教思想などの思想や哲学、宗教、

またあるいは文学や芸術などの作品の中に明示あるいは暗示されているものだと考えています。

 

いわゆる「スピリチュアル本」を読むのもいいけれど、むしろ古典とされる名作を読む方が深く理解できるのではないか。

そんな気がするのです。

 

「水晶七環」の演奏も、すぐに答えを示し効果を出すHowTo本ではなく、

じっくり後からその真意がわかってくるような名作小説のようでありたいと思うのです。

 

2-2・水晶七環演奏は、別名を「中庸演奏法」ともいう

 

そんな水晶七環演奏で最も需要なのは、

いかに自分を中庸の状態に近づけるか、です。

 

もちろん、悟ってもいない生身の人間であるわたしたちは、常日頃から「中庸」でいることはできません。

けれども7つのクリスタルボウルに触れる時だけは、限りなく「中庸」になれること。

 

そのためには心を整えることはもちろんですが、身体の状態も重視します。

座り方や立ち方(個人ヒーリングなど立って演奏する場合)、

そして演奏するためのマレット(棒)を持つ指の形も大切です。

 

ひとつには「体の使い方」としてのクリスタルボウル演奏、それを「水晶七環」は大切にしていますし、

おそらくそれは、他にはかなり珍しい教え方なのではないでしょうか。

 

 

2-3・水晶七環を聴くと良いことがあります、とはもう言わないかもしれない

 

クリスタルボウルは「ミラクル」を呼ぶ、と、時々聞きます。

わたし自身もこれを始めてからどんどん人生が楽に楽しくなりましたし、

先輩や同輩からもそんな話はたくさん聞きました。

これをどんどん発信していけば、ご興味を持ってくださる方は増えるかもしれませんし、

ビジネスの手段としてはそれが「正解」でしょう。

 

が、最近のわたしはだんだん、それが面倒になってきました。

「開運」に飽きた、とも言えます。

 

例えばクラシック音楽の演奏会や、オペラやバレエ、演劇などの舞台芸術に、

まず「開運」を謳ったものはないでしょう。

「誰々さんのピアノを聴いたら運気アップ!」という宣伝は、今のところはまだ、見たことがありません。

しかしそれでも好きな人は聴きに行きますし、素晴らしい演奏を聴くと、確実に自分の中の何かが変わります。

それを「開運」と呼ぶかどうかはともかくとして、それは自分に「なにか素敵なもの」をもたらしてはくれるものです。

 

水晶七環もそうでありたい。

 

まだまだ広まっているとは言えないものであるからして、広めるための時に「キャッチーな」宣伝も必要ではあるでしょうが、

決してそれだけではなく、「地味な」「中庸の」「精神的な」ものも大切にしていきたい。

 

 

そう思い、そちらに舵を切ってから、わたしの音もまた変わったと言われるようになりました。

 

 

3・まとめ〜「開運」はもう古い? これからは「中庸」「真理」を意識していく

「開運」「陽」「ポジティヴ」を追求する時期はあって良いと思います。

いや、一時的には必要でしょう。

が、いつまでもそれらにしがみついているのもまた、いつかは苦しくなってくるのではないでしょうか。

 

それよりも、これからは「中庸」の時代だと思うのです。

言い換えれば「真理」「真のスピリチュアル」の時代。

 

そういう意味では、わたしの水晶七環演奏は、とても地味でもしかしたら古い感じがするのかもしれませんが、

「次の時代のクリスタルボウル演奏」なのかもしれません。

 

そう、「22世紀版陰陽五行」ならぬ、「22世紀版クリスタルボウル」なのかもしれません。

いえ、クリスタルボウルという新しくて不思議な楽器自体、そういうものなのではないでしょうか。

 

※参考記事

岩茶と陰陽五行と意識の探求〜「22世紀版陰陽五行」とは何か(自由が丘FMTV)

https://otoka.jp/岩茶と陰陽五行と意識の探求〜「22世紀版陰陽五行/

 

 

余談ですが、今日はわたしの水晶七環教室の生徒さんのひとり、

りあんさんのレッスンでした。

この「中庸演奏法」を理解してくれて、しっかり引き継いでくれてもいます。

ついつい教えているわたしがうとうとと寝てしまうほど、優しく柔らかく素晴らしい音を出してくれました。

 

もちろん全ての奏者さんがそうである必要など全くないのですが、

このような「中庸」を感じさせてくれる音の出せる奏者さんは何人かいてほしいと思っています。

 

りあんさん

 

 

※【参加費無料】自由が丘朝活のお知らせ

毎月第2土曜日は朝活の日!  次回は9月9日の10時〜12時です

9/9自由が丘朝活

 

※【10/1(日)】クリスタルボウル・ヨーガ

15時15分〜16時45分  自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・4000円

10/1クリスタルボウル・ヨーガ