(6/23リンク追加)2時間でフランス革命〜新演出「パリの炎」で集団の力と恐怖に戦慄を覚える

※この日の舞台写真が多く掲載されたサイト(『男子専科』)を見つけましたのでリンクを追加します(6/23)

http://danshi-senka.jp/taste/聴衆の心を鷲づかみにしたイワン・ワシーリエフ

〜・〜・〜

 

より良い社会を求めて立ち上がったはずの民衆が

いつしかその力に酔ったようになり

血で血を洗う内乱へとその情熱を変容させていく‥

 

 

 

熱狂の11日間、ボリショイ・バレエの東京公演の最後は「これぞボリショイ!」、2時間でフランス革命を駆け抜ける、

炸裂するパワーと迫真の演技に大興奮の「パリの炎」でした。

(ファンとしてはもちろん、他の演目も観ております。)

 

※招聘元「ジャパン・アーツ」のホームページより「パリの炎」解説

http://www.japanarts.co.jp/bolshoi_b2017/paris.html

 

 

1・革命バレエ「パリの炎」の成り立ち

 

もともとは旧ソビエト時代に作られたバレエで、当初の振付(ワイノーネン版・1932年)では革命礼賛の作品でした。

この頃はバレエの世界でも、社会主義思想に合ったプロパガンダ的なものが、ソビエト政府指導で上演されていたのです。

「パリの炎」は1792年のテュイルリー宮襲撃前後を舞台に、1917年ソビエトでの社会主義10月革命礼賛の目的で作られたそうです。

しかしだんだん時代に合わなくなり、1964年を最後に全幕上演は長いことされませんでした。

それを2008年に現代を代表する振付家、アレクセイ・ラトマンスキーが改定振付したものが、今のボリショイ・バレエのレパートリーになっています。

 

 

2・改訂版「パリの炎」のラストは悲劇的要素を含む

 

革命礼賛だった原振付とは違い、ラトマンスキー版のラストは完全な「ハッピーエンド」ではありません。

物語の中心であるジェロームの恋人、心優しいアデリーヌが、侯爵の娘であるという告発によって断頭台に送られるという、とてもショッキングな場面が含まれています。

初めてDVDでこれを観たときはあまりのショックに、ラトマンスキーは酷いと思ったものでした。

が、今回、生の舞台を観て、やはりラストはこうでなければならないと納得したのです。

 

 

3・2人の主役〜ダンサーによってこれほど違ってくる物語

 

3−1・ラントラートフとワシーリエフ〜対照的な主人公のキャラクター

 

今回の東京公演は2公演で、それぞれ違うダンサーが主役の革命軍兵士フィリップを踊りました。

最初の晩は、ボリショイの次代看板となるであろう美形プリンシパル(最上級ダンサー)、ウラディスラフ・ラントラートフ。

 

余談ですが、DVDでワシーリエフの革命軍軍服姿(上の写真とは別衣装)を見慣れていたわたしは、

ラントラートフの軍服姿のあまりの格好良さに「こんな素敵な衣装だったのか!」と驚いて、あやうく惚れそうになりました?!

 

 

そして2日目千秋楽は、驚異的な身体能力で観客をいつも沸かせるパワフルダンサー、イワン・ワシーリエフ

 

 

※「パリの炎」DVD情報(バレエDVD/Blu-ray/VIDEO)
http://dvd.sideballet.com/archives/201005252000.php

 

東京初日のラントラートフはすらりとした身体に長めのサラサラ髪、何をやっても美しかったのに、

このワシーリエフときたらダンサーにしては小柄でがっちりしていて、何をやってもあまり美しいという感じではないのです。

が、圧倒的な存在感と迫真の感情表現、そして彼ならではの高いジャンプと驚異の超絶技巧で、会場は総立ちになるほど沸きました。

 

 

3−2・ワイヤーアクションかと疑ったワシーリエフの超絶技巧!

 

ワシーリエフを初めて観たときの衝撃は忘れられません。

それは2010年のボリショイ・ロンドン公演の時でした。

 

ワシーリエフが大きな跳躍を見せた時、わたしは思わずオペラグラスを覗きこんだのです。

上から吊っていないか確かめるために!

もちろん、あり得ないのは百も承知です。

 

身長は他のダンサーよりひとつ低いくらいなのに、跳び上がると誰よりもひとつ、いやふたつ高い。

加えて驚異的な超絶技巧に高速回転、観た観客は興奮して手を叩き、「ブラヴォー」ばかりか口笛まで飛び交う‥

彼はボリショイバレエを「ボリショイサーカス」にしてしまったと、嘆く人もいるようです。

 

わたしも初めて観た時は、信じられないものを観てしまった衝撃に口は開きっぱなし、

そのうち身体の奥から笑いの衝動が生まれてきて、最後はただ笑っていました。

人は信じられないものを見ると笑うんだ、と思ったものです。

 

しかしワシーリエフの魅力はその超絶技巧ばかりでなく、実は役に魂からなり切ったかのような迫真の感情表現にもあるのです。

 

 

3−3・ラントラートフ=フィリップは、爽やかな好青年の悲劇を感じる物語

 

初日のラントラートフが演じた主役フィリップは、知性と理性が感じられる好青年でした。

平民とはいえおそらくは比較的裕福な知的エリート、それが貧民たちへの優しさと自らの正義感によって革命に理想を見て参加を決める、そんな背景を感じます。

同志と飲み酔っ払ってもどこか品性を留め、細かく周りに気配りもしている。

そんな爽やかな好青年が、ラストは熱狂のあまり凶暴化して貴族の出というだけで今まで仲間だったアデリーヌを断頭台に引っ張っていく仲間たちに、困惑と絶望の色を見せながらも、もう戻れないところまで来てしまったと知る‥

そんな悲壮感の感じられるフィリップでした。

 

歴史的にはこのあと、ロペスピエールによる恐怖政治へと続きます。

(「国民公会の議長」という役名で、このロペスピエールと思われる役が登場しているところが、また何とも言えない‥)

おそらくかなり早い段階で、何か濡れ衣でも着せられてあっけなく粛清されてしまうのではないか‥そう思えてならない上品なフィリップでした。

 

 

3−4・ワシーリエフ=フィリップには、鬼気迫る怖さがある

 

対してワシーリエフのフィリップは、まさに「豪傑」といった感じの青年です。

先の写真よりも濃く生やした髭面に、お酒も豪快な飲みっぷり(演技ですが)、そして声も割れんばかりに大きいのが踊りだけで伝わってきます。

直情型で、例えるなら、そう、「三国志演義」の張飛でしょうか。

(ラントラートフは、京劇でも美男の役とされているパーフェクトな「常勝将軍」趙雲のイメージでしょうか‥)

 

※wikipedia「張飛」

https://ja.wikipedia.org/wiki/張飛

 

平民の中でもおそらくは肉体労働者、日々王侯貴族への不満を溜めていたのが爆発し、とにかく「打倒王家!」ひとすじで猛進している感じです。

敵を揶揄する姿にも迷いはなく、先頭を切っている感じ。

でも悪い人ではなく、むしろ好漢で、きっと味方には情厚く慕われているのでしょう。

 

そんなフィリップは革命成功を手放しで喜ぶものの、急に起こったアデリーヌ処刑に衝撃を受け、そこで初めて革命の負の側面を知ったように見えました。

 

 

はじめて、熱狂する民衆の怖ろしさと、自分がそれを扇動してきたことを知ったような。

 

 

しかし、その後彼は、「毒喰わば皿まで」といったような、強烈な表情をするのです。

 

ラストはアデリーヌの首を抱えて慟哭する恋人ジェロームの後ろで、

フィリップ率いる民衆が更なる勝利を求めるかのように行進していくのですが、

そのワシーリエフ=フィリップの表情に、思わず凍りついたのです‥

 

わたしは普通、バレエで顔の表情はさほど重視しません。

バレエは手足など身体を使った表現で喜怒哀楽を表すのが、基本だと思っているからです。

しかしこの時は、思わずオペラグラスを覗いてワシーリエフの表情に見入りました。

それは文字通り鬼気迫る、なんとも言えず凄まじいものでした‥

 

 

この青年は、地獄を見た。地獄を知った。

そして自分も、地獄の鬼となる覚悟を決めている。

 

 

ラントラートフのフィリップと違い、このフィリップは恐怖政治の中でも、自ら粛清する側に回って生き延びそうな感じがしたのです。

 

 

4・アデリーヌは死ななければならなかった〜もはや革命礼賛ではない

 

凄まじいワシーリエフの表情が脳裏に焼き付いたままの帰り道、ふとわたしは納得したのです。

振付家ラトマンスキーがなぜ、あのように非情なラストを用意したのかを。

 

アデリーヌの処刑がなければフィリップのあの表情はなく、

フィリップのあの表情がなければやはり、物語は今や時代遅れの革命礼賛話になってしまうでしょう。

 

考えてみれば当然のことかもしれませんが、何となくDVDを観ていただけでは、ワシーリエフやそのパートナーであるオシポワ(こちらも凄い!)のあまりの超絶技巧に目がいって気付いていなかったことが、

生の舞台を観たことで急に理解できた思いがしました。

 

ラトマンスキーが表現したかったのは、おそらく「集団の怖ろしさ」とでもいうもの。

理性を忘れ熱狂した「普通の」人々が、条件が揃うと暴徒と化すこともあるという怖ろしさ。

 

革命は極端な例にせよ、小さなことならわたしたちもかなり日常的に、「集団に呑まれる」という経験はしていないでしょうか。

言いたいことが言えなくなる。

「みんな」と違う行動がとれなくなる。

「みんなと違う」ところがあると仲間外れにされる。

仲間外れにされたくないがために調子を合わせ、別の人をこぞって仲間外れにすることすらある。

(「スケープゴート」「槍玉」を求める)

 

戦争の前などは、そのような空気が濃くなっているのではないでしょうか。

個人としては誰も望んでいないだろうに、集団としてその方向へ動いてしまう。

これは、昔の外国の他人事ではないのかもしれません。

 

 

5・超絶技巧というエンターテイメント性の裏に潜む闇〜一筋縄ではいかない作品か

 

とはいえ、作品の感じ方は人それぞれです。

わたしは深読みしすぎなのかもしれません。

純粋に主役の超絶技巧と、迫力のキャラクターダンス(オーベルニュの踊り、マルセイユ人の踊り、バスク人の踊りといった民族舞踊)、準主役も含めた4人の豊かな感情表現、

そしてボリショイ管弦楽団の割れんばかりの金管楽器の熱い演奏をただただ楽しんでいれば良いのかもしれません。

一緒に連れていった小学生の子どもも楽しめた、エンターテイメント性も高い作品です。

わたし自身もDVDを観ていた段階では、そちらの明るい側面を大きく感じていました。

 

しかしその後ろには、ラトマンスキーに代表される現代ロシアの、危機感と皮肉が隠れているのかもしれないのです。

 

ちなみにラトマンスキーは、「明るい小川」「ボルト」など、他にも旧ソビエトを幾分皮肉的に描いた、楽しくもちょっと怖いバレエを作っており、どれも秀逸の出来だとわたしは思います。

多くのロシア人にとって、いまや旧ソビエトは、格好の冗談の種なのだそうです。

 

 

6・おわりに〜ボリショイ・バレエならではの魅力と、「二流オーラ」のデニス・サーヴィン

 

超絶技巧に代表される、少しばかりサーカス的なエンターテイメント性と、

動きの美の極致を追求しているような芸術性。

 

または派手なエンターテイメント性と、

ふとその裏を考えてしまうような、時に深刻なテーマの演劇性。

 

型通りの美しさを重視する一方で、

型破りの感情表現も辞さないドラマ性。

 

 

わたしが数々のバレエ団の中でもとりわけボリショイ・バレエを贔屓にしている理由は、

これら両面を併せ持つ面白さなのだと思います。

 

 

中でも「パリの炎」は、これらの対比を鮮やかに示す、まさに「ボリショイらしい」作品であったと改めて評価を高くしました。

惜しむらくは音楽!

バレエ音楽としては上出来な方かもしれませんが、やはりチャイコフスキーに代表される大作曲家に比べてしまうと少し物足りないかもしれません。

が、クラシック音楽的な名演奏とは言えないものの、急処はしっかり押さえて表現にも迫力のあるボリショイ管弦楽団の演奏で、不満を感じず楽しむことができると思います。

(生演奏ではなくてDVDだと、やはりその単調さに多少うんざりするかもしれませんが‥)

 

 

また、長くなるので惜しくも割愛しましたが、

初日の公演で、準主役であるアデリーヌの恋人ジェロームを演じたデニス・サーヴィンの、踊りと表現の素晴らしかったことも付け加えておきます。

息子をして「溢れんばかりの二流オーラ!」と言わしめたサーヴィンの存在感、この表現はなかなか言い得て妙だと思いました。

(この場合「二流オーラ」は褒め言葉です。なかなかどうして出せるものではなく、もしかしたら「一流オーラ」より難しいかもしれません。)

 

ボリショイならではの群舞も、大迫力で素晴らしく楽しませてくれました。

 

 

今年もとても楽しかった、ボリショイの東京公演の約10日間でした。

次の来日は2020年、待ち遠しいです。

 

(オペラやバレエの公演、クラシックの演奏会には、その日の演目をちょっと意識した服装で出かけます。

「パリの炎」ならもちろんトリコロール・カラー! 真紅は控えて臙脂色にして、「いかにも」感は抑えたつもりです。)

 

※【参加費無料】自由が丘朝活のお知らせ

毎月第2土曜日は朝活の日!  次回は9月9日の10時〜12時です

9/9自由が丘朝活

 

※【10/1(日)】クリスタルボウル・ヨーガ

15時15分〜16時45分  自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・4000円

10/1クリスタルボウル・ヨーガ