時には自分の欲を「無」に近づけて、真の「直感」を受信してみる

無になったとき受信できるのが真の直感

意図して受信するのは他社の意図

直感を磨くということは

どれほど己の欲望を無に近づけていくかということ

 

 

 

3年あまり毎日更新していた旧ブログでは、毎朝「心理カード」を引き、その結果をテーマに「今日のメッセージ」を書いていました。

 

※「心理カード」とは、わたしがカウンセリングの補助に使う、漢字二文字または一文字のみが書かれた手製のカード。

それ自体にスピリチュアル的な魔力か何かがあるわけではなく、ただ自分の心の中から答えを見つける補助になる「ツール」です。

 

 

このブログでも、それを続けています。

今日は引いた3枚のカード「無」「受信」「直感」を見て、わたしが閃いたことを書いていきます。

 

 

1・「直感」の多くは当てにならない

 

「直感」とは、考えず感じることと言って良いでしょう。

※goo辞書「直感」

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/145277/meaning/m0u/

 

ところがその何かを感じる「感覚」も、ほとんどの場合、微妙に狂っていることが多いものです。

例えばある日、何とはなしに胸が苦しいような嫌な感じがして、出かけるのを止めたとします。

それをわたしたちは、「直感で止めた」と言うでしょう。

ところがそれは、単に自分の鳩尾がいつもより物理的に硬くなっていただけかもしれません。

 

なぜ、鳩尾がいつもより硬くなるのか。

考えられる理由は2つです。

1つはやはり、そこへ行くのは良くないと直感したことに身体が反応しているということ。

もう1つは、意識しているかどうかは別にして、実は何らかの理由でそこへ行きたくないという自分の思いが先にあり、それを身体の「鳩尾が硬い」症状として表しているということ。

 

学校へ行こうとするとお腹が痛くなる、などというのもその一つです。

別にその日学校へ行くと何か惨事でも起こるということを直感してそうなるわけではありません。

これは顕著な例ですが、そこまで痛くならずとも、自分の経験や思い込みから何かしら身体に不快(または快)を感じてそれを直感と錯覚する、そのような例はよくあることです。

もちろんこれは真の直感ではなく、その身体の反応に従うべきかどうかはケースバイケースです。

 

 

2・真の「直感」はどこから来るのか

 

そのような自分都合から錯覚するものではない真の「直感」は、天から降ってくるという考え方もあります。

これはまだ科学的に証明されてはいないことですし、そう思うならそうである、というくらいしか言えないのではないでしょうか。

あるいは、自分の心の奥深くから湧き上がってくるという説もあります。

「心」そのものがまだ証明されない以上、これも裏付けはないのですが、「心」は確かにある、という感覚は広く受け入れられているのではないかと思います。

その心の奥、普段は自分自身でも認識できていない底の方からある時ふと浮かび上がってくる、これもまた、そう思うならそうである、ということでしょう。

 

が、共通するのは、天からにしろ心の奥からにしろ、それは「いつも認識している自分」とは違うところから伝わってくる、というものです。

「いつも認識している自分」とはエゴ、「わたし」という個別の存在であり、わたしたちはその自分自身を保つために欲を出して、食べたり寝たり子孫を残したり、あるいはその変化したものとして、物をお金を楽しみ喜びを求めます。

 

自己保存欲求も生きるためには大切なものであり、わたしはそれを決して否定しません。

大いに食べて求めて楽しみ、この人生を謳歌するのも良いでしょう。

ただ、その欲が必要以上に暴走するとどんな困ったことになるかは、いまさら述べるまでもないでしょうが‥

 

 

3・一瞬でもいい、時には欲を捨てて「無」になろう

 

もうおわかりでしょうが、この「いつも認識している自分」「エゴ」があればあるほど、その向こうにある真の直感は受信しくくなってしまいます。

それはちょうどラジオのノイズのように、その直感を感じにくくするのです。

 

生きていくためには欲も大切。

でも、ただ生命を保つ以上のなにかを得たければ。

(厳密に言うとそれもまたひとつの「欲」なのですが。)

 

時にはその欲を捨て、限りなく無に近づき、天高くでも心の奥深くでもおそらくは同じこと、そこに在る人智を超えた「叡智」からの声を受信してみませんか。

もちろん完全に無になることはできないでしょうが、近づくことはできます。

そしてそれは日常いつもではなく、時に一瞬でも良いのです。

 

いろいろな方法がありますが、最も有名なのはやはり瞑想でしょうか。

クリスタルボウルなどをただじっくりと聴くことも、簡単に瞑想状態になることができる有効な方法です。

余談ですが、クリスタルボウルは自分のエゴを「傍に置いた」状態で演奏するものです。

奏者は無欲の聖人である、なんてことはないですが、少なくとも「我欲を傍に置く」程度はできることが、奏者には必要だとわたしは考えています。

 

 

人間の意識は大元ではひとつだとも言われますし、わたしもそう考えています。

「叡智」からの直感は、個人にではなく、人類全てにとってプラスのものになるのです。

そして「叡智」を受信できればできるほど、心は軽く楽になっていくものです。

 

 

 4・まとめ

 

直感直感といいますが、そのほとんどは「直感もどき」かもしれません。

本当の直感とは、エゴを取り去ったところに見つかるものです。

人間である以上、完璧にエゴをなくすことはまずできないでしょうが、限りなく無に近づくことはできるはずです。

 

ここぞという時だけでいい。一瞬でもいい。

瞑想や内観、あるいは鍛錬などといったものは、それができるようになるためにあるのです。

そしてクリスタルボウルの役割のひとつはそれに役立つことなのだと、わたしは思います。

 

※【参加費無料】自由が丘朝活のお知らせ

毎月第2土曜日は朝活の日!  次回は9月9日の10時〜12時です

9/9自由が丘朝活

 

※【2017年12/3(日)午後】クリスタルボウル・ヨーガ

15時15分〜16時45分  自由が丘「スタジオカムシア」にて ご参加費・4000円

12/3クリスタルボウル・ヨーガ